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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)7161号 判決 1990年1月22日

原告 有限会社 高木

右代表者代表取締役 高木顕夫

右訴訟代理人弁護士 阿左美信義

同 中島英夫

同 渡辺脩

同 坂本宏一

被告 カシオ計算機株式会社

右代表者代表取締役 樫尾忠雄

右訴訟代理人弁護士 山田靖彦

主文

一、原告の請求をいずれも棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1. 被告は、原告に対し、金四八八五万二二五〇円及びこれに対する昭和六〇年三月一日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

2. 訴訟費用は被告の負担とする。

3. 仮執行宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二、当事者の主張

一、請求原因

1. 当事者

原告は、日用品雑貨、家庭電化製品、宝石類の卸小売業及びこれに付随又は関連する一切の業務を目的とする会社、被告は、電卓・時計・楽器等の製造販売の業務を目的とする会社である。

2. 本件取引契約

原告は、昭和五七年六月二一日、被告(広島営業所)との間に、次の約定で被告の製造する商品を継続して売買する旨の基本取引契約(以下「本件取引契約」という。)を締結した。

(一)  代金支払方法 請求書の締切日・毎月二〇日、代金支払日・翌月一〇日、決済方法・代金支払日起算九〇日後を支払期日とする約束手形による。

(二)  有効期間 一年間とするが、期間満了の三か月前までに当事者の一方又は双方により書面による変更もしくは解約の申入れがない場合は、満一か年間自動的に継続され、その後も同様とする。

3. リベート金相当額の支払請求について

(一)  原告は、被告との間に、本件取引契約に基づき、本件取引契約締結直後から取引を開始したが、昭和五八年一月二八日から楽器の取引も開始し、被告の広島営業所の楽器取引担当社員鵜飼修司(以下「鵜飼」という。)は、同日、被告のためにすることを示し、原告との間に、被告が原告に売却する楽器の卸値は、カタログ価格の六〇パーセントの金額(器種別に別紙「卸値・原価・リベート一覧表」(別表Ⅰ)の卸値欄記載の価額)とし、実際の原告の仕入原価は、カタログ価格の四〇パーセントの金額(同表原価欄記載の価額)とする、原告において、被告に対し、本件取引契約の代金支払方法と同様の方法により右卸値による金額を支払うが、卸値と原告の仕入原価との差額(カタログ価格の二〇パーセントに相当する金額)は、右卸値の決済後直ちに被告が原告に支払うとの約定でリベート契約(以下「本件リベート契約」という。)を締結した。

(二)  昭和五八年一月二八日から昭和五九年一〇月二〇日までの間の原告と被告との間の楽器取引の数量及び卸値金額並びに本件リベート契約に基づく月別リベート金額は、別紙「昭和58・1~同59・10・20の間の月別取引額及びリベート金額表」(別表Ⅱ)記載のとおりであり、リベート金額の合計額は金三八九三万八三二〇円である。

(三)  鵜飼又は被告の広島営業所長馬場智男は、原告に対し、遅くとも昭和六〇年二月末日までに右リベート金額を清算する旨約した。

(四)(1)  鵜飼は、被告から本件リベート契約締結の代理権を授与されていた。すなわち、原告と被告との間の取引における仕入価格・バックリベート金額等の具体的取引条件は、楽器のみならず、時計・電卓等に関しても被告の広島営業所の営業社員との間で口頭で取り決められていたものであり、格別の書面を交わしてはいない。このような取引形態は、家電関係のメーカーと卸、小売商との間では常態となっており取引慣習でもある。

(2) 仮に鵜飼に右代理権がなかったとしても、被告は、原告に対し、民法七一五条に基づき、本件リベート契約の締結に伴い原告の被った損害を賠償すべき義務がある。

すなわち、鵜飼は、前記のとおり、被告の広島営業所の楽器取引担当の営業社員であったところ、昭和五八年二月頃以降原告の店長川崎太久美と被告製造の楽器取引について交渉し、原告に大量に右楽器を買受けてほしい、ついてはその売買条件として、①原告への仕切値はカタログ価格の四〇パーセントとする、②被告の本社で決定される一般の卸値と原告への仕切値との差額(カタログ価格の二〇パーセントに相当する金額)は原告に対しリベートとして支払う、③リベートの支払方法としては、架空返品扱い、〇円による仕入れ、現金支払又は相殺のいずれかによる旨申入れ、川崎もこれに同意し、同月頃から昭和五九年一〇月二〇日頃までの間大量かつ継続的に楽器の売買取引を継続した。

この間、鵜飼は、原告に対し、①前記カタログ価格の四〇パーセントの仕切値又はリベート金額を確認し、②リベート金額清算の期限を約し、③リベート金額の清算であるかの如くに見せ掛けるために、自ら或いは右広島営業所の社員に指示して原告宛の架空返品伝票を作成して川崎に交付し、真実は値引き(値段訂正)伝票であるのに、あたかもこれが返品伝票であるかのように装って川崎に交付するなどして、何かと口実を設けてはリベートの支払を引き延ばし、原告をして真実被告から原告にリベートが支払われるものと誤信せしめて欺罔した。

その結果、原告は、別紙「昭和58・1~同59・10・20の間の月別取引額及びリベート金額表」(別表Ⅱ)記載のとおり、カタログ価格の六〇パーセントに相当する金額と同じく四〇パーセントに相当する金額との差額金三八九三万八三二〇円相当の損害を被った。

以上のとおり、鵜飼は、被告の事業の執行について故意又は過失により原告に損害を被らしめたものであるから、被告は、鵜飼の使用者として民法七一五条に基づき右損害を賠償すべき義務がある。

4. 未入荷商品代金の支払請求について

(一)  昭和五八年一月二八日から昭和五九年一〇月二〇日までの間の原告と被告との間の楽器取引のうち、別紙「未入荷商品の器種、数量、単価、金額一覧表」(別表Ⅲ)記載のとおり、合計金九九一万三九三〇円相当の商品は、未だ被告から原告に納入されていない。

(二)  原告は、前項の未入荷商品について、毎月二一日付で被告から代金支払の請求があり次第、被告に対し、至急納入するか代金を清算するよう通知したが、被告は、納入も清算もしなかった。

そこで、原告は、被告に対し、昭和六一年一月二〇日の本件第四回口頭弁論期日に陳述の昭和六〇年一二月一三日付準備書面で右未入荷商品についての売買契約を解除する旨の意思表示をした。

5. 結論

よって、原告は、被告に対し、次の金員の支払を求める。

(一)  主位的に本件リベート契約に基づき、予備的に使用者責任に基づき、リベート金相当の金三八九三万八三二〇円及びこれに対する履行期ないし不法行為後である昭和六〇年三月一日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金

(二)  契約解除による不当利得返還請求権に基づき、未入荷商品代金相当の金九九一万三九三〇円及びこれに対する履行期後である昭和六〇年三月一日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金

二、請求原因に対する認否

1. 請求原因1の事実は認める。

2. 請求原因2の事実は認める。

3. 請求原因3(一)の事実のうち、原告が、被告との間に、本件取引契約に基づき、昭和五六年四月一日頃から被告製造の電卓・時計等の取引を開始したこと、その後楽器の取引も開始したこと、被告が原告に売却する楽器の卸値が、カタログ価格の六〇パーセントの金額とされていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

請求原因3(二)の事実のうち、昭和五八年一月二八日から昭和五九年一〇月二〇日までの間に被告が原告に売り渡した楽器の売買代金の月別合計額が別表Ⅱの「取引金額」欄記載の金額であること、原告が被告に対し右売買代金額全額を支払済であることは認めるが、その余の事実は否認する。

請求原因3(三)の事実は否認する。

請求原因3(四)(1)の事実は否認する。

請求原因3(四)(2)の事実のうち、鵜飼が被告の広島営業所の楽器取引担当の営業社員であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

4. 請求原因4(一)・(二)の事実はいずれも否認する。

三、抗弁

1. 使用者責任に基づくリベート金相当額の損害賠償請求について

(一)  原告の悪意・重過失

原告は、鵜飼に本件リベート契約締結の代理権がないことを知っていたものであり、仮に原告が鵜飼に右代理権があると信じていたものとしても、本件において鵜飼に右代理権がないことは、取引常識上僅かの注意をもってすれば直ちに判明することであり、原告には右注意を欠いた点で重大な過失があるというべきである。

(二)  本件リベート契約の公序良俗違反による無効

仮に右(一)の主張が認められないとしても、本件リベート契約は、原告主張の「架空返品」を必須の要素とするものである。しかしながら、右「架空返品」なるものは、結局は、実際には商品を被告に返還しないにもかかわらず、返品名下に当該商品代金を被告から騙取するというものであって、当該合意が違法なものであることは疑いがない。

したがって、本件リベート契約は、公序良俗に反し無効であり、原告の鵜飼に対する損害賠償請求権が存在せず、これを前提とする民法七一五条に基づく原告の被告に対する損害賠償請求権も成立する余地はない。

2. 未入荷商品代金の支払請求について

原告と被告は、本件各売買契約締結時いずれも商人であったところ、原告は、被告からそれぞれ目的物を受領しながら、右受領の各時期から相当の期間が経過しており、原告が未入荷(数量不足)を理由に契約を解除することは許されない(商法五二六条一項前段)。

四、抗弁に対する認否

抗弁事実はいずれも否認する。

第三、証拠<省略>

理由

一、請求原因1・2の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二、リベート金相当額の支払請求について

先ず本件リベート契約に基づくリベート金の支払請求(主位的請求)について判断する。

請求原因3(一)の事実のうち、原告が、被告との間に、本件取引契約に基づき、昭和五六年四月一日頃から被告製造の電卓・時計等の取引を開始したこと、その後楽器の取引も開始したこと、被告が原告に売却する楽器の卸値が、カタログ価格の六〇パーセントの金額とされていたこと、請求原因3(二)の事実のうち、昭和五八年一月二八日から昭和五九年一〇月二〇日までの間に被告が原告に売り渡した楽器の売買代金の月別合計額が別表Ⅱの「取引金額」欄記載の金額であること、原告が被告に対し右売買代金額全額を支払済であること、請求原因3(四)(2)の事実のうち、鵜飼が被告の広島営業所の楽器取引担当の営業社員であったことは当事者間に争いがない。

原告は、鵜飼が被告を代理して原告との間に本件リベート契約を締結した旨主張するので、鵜飼の右代理権の存否について検討する。

前記当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。

1. 被告は、電卓・時計・楽器等の製造販売を業とする一部上場企業であり、組織上本社では営業関係についても、営業本部長の統括の下に多数の関係各部署が設置されるとともに、全国的に営業所を開設し、明確な業務処理規定を定めて、本社の各部署及び営業所における社員の業務責任と権限を明らかにしている。また、被告では、原告ら各代理店との取引に当たっては、最初に基本取引契約書を取り交わし、これに基づき個々の取引について各営業所の営業社員が原則として口頭で代理店から器種・数量・価格の注文を受け、その都度各営業所長の決裁の下にこれらについて取り決められることになっている。

2. 代理店に対する商品の販売価格は、代理店ごとに本社所定の範囲内で最低販売価格(仕切値)が定められてこれが各代理店にも示され、各代理店にはこの最低販売価格(仕切値)以上の各営業所長の定める価格で商品が販売され、更に、この最低販売価格(仕切値)は本社の経理処理のためのコンピュータにも入力され、これに基づき毎月の売上に従い請求書が本社から各代理店宛に直接郵送される(返品・後記値引(単価訂正)についても右請求書に表示される。)システムとなっており、営業所の一営業社員にこの最低販売価格(仕切値)決定の権限はない。なお、この最低販売価格(仕切値)以下で販売する必要があるときは、個々の取引について、各営業所長から器種・台数・期間を限定して東京の本社(楽器についていえばデジタル企画部楽器企画部)に特別価格(特値)申請書を提出してその許可決定を受けることとされており(但し緊急の場合には先に電話で許可を得た後に右申請書を本社に廻す場合もある。)、これ以外に営業所の営業社員は勿論営業所長も右最低販売価格(仕切値)よりも低額で販売する権限を有していない。

3. 被告の社内で制度として許容されているリベートは、期間を定めて行われるキャンペーン期間中に各代理店の取引額に応じて一定率で支払われるキャンペーンリベートと、各営業所が販売促進費として予算の範囲内でもっている金額又は本社から別途交付される金額によって支払われるリベートの二種類しかなく、いずれも被告から代理店に現金で支払われる(通常は商品代金と相殺される。)ものであり、原告もこれら制度上のリベートについては過去に受領したことがある。

4. 鵜飼は、昭和五一年四月に被告に入社し、広島営業所の配属となり、当初は時計係として時計の営業を担当していたところ、昭和五七年五月頃から楽器係に転属となり、営業社員として原告ら約五〇店の代理店との間で被告の販売する楽器の受注・納品・集金等の業務に従事していたが、右営業所内で格別の肩書もなくいわゆる平社員であった。

以上の事実が認められ、右認定事実によれば、原告が本件リベート契約が締結されたとする当時、鵜飼は、被告の広島営業所の一営業平社員にすぎず、職制上、原告ら代理店に対する最低販売価格(仕切値)を決定したりこれを低減させる権限及び前記制度上のリベートの交付を決定する権限がないのは勿論、対外的にも被告を代理する権限を有していたものとは認められず、また、本件全証拠によるも、右原告の主張当時、同人が職制上の権限以外に何らかの特別な代理権限を授権されていたものと認めるに足りない。

原告は、原告と被告との間の取引における仕入価格・バックリベート金額等の具体的取引条件は、楽器のみならず、時計・電卓等に関しても被告の広島営業所の営業社員との間で口頭で取り決められていたものであり、格別の書面を交わしてはいない、このような取引形態は、家電関係のメーカーと卸、小売商との間では常態となっており取引慣習でもある旨主張する。

しかしながら、被告において個々の取引について営業社員が原則として口頭で代理店から器種・数量・価格の注文を受けていたことは前記認定説示のとおりであるが、これはあくまでも「契約締結交渉」に関することであって、そのことから直ちに右営業社員が個々の取引について「契約締結権限」を有すると即断できないことはもとよりであるから、原告の前記主張は採用の限りではない。

したがって、原告の被告に対する本件リベート契約の成立を前提としてリベート金の支払を求める主位的請求は、鵜飼の本件リベート契約締結の代理権が認められない以上既にその点において失当というべきである。

そこで、進んで原告の被告に対する使用者責任に基づくリベート金相当額の損害賠償請求(予備的請求)について判断する。

原告は、鵜飼が、昭和五八年二月頃以降原告の店長川崎太久美と被告製造の楽器取引について交渉し、原告に大量に右楽器を買受けてほしい、ついてはその売買条件として、①原告への仕切値はカタログ価格の四〇パーセントとする、②被告の本社で決定される一般の卸値と原告への仕切値との差額(カタログ価格の二〇パーセントに相当する金額)は原告に対しリベートとして支払う、③リベートの支払方法としては、架空返品扱い、〇円による仕入れ、現金支払又は相殺のいずれかによる旨申入れ、川崎もこれに同意し、同月頃から昭和五九年一〇月二〇日頃までの間大量かつ継続的に楽器の売買取引を継続したが、この間、鵜飼は、原告に対し、①前記カタログ価格の四〇パーセントの仕切値又はリベート金額を確認し、②リベート金額清算の期限を約し、③リベート金額の清算であるかの如くに見せ掛けるために、自ら或いは右広島営業所の社員に指示して原告宛の架空返品伝票を作成して川崎に交付し、真実は値引き(値段訂正)伝票であるのに、あたかもこれが返品伝票であるかのように装って川崎に交付するなどして、何かと口実を設けてはリベートの支払を引き延ばし、原告をして真実被告から原告にリベートが支払われるものと誤信せしめて欺罔した旨主張し、証人川崎太久美及び原告代表者は、右主張に沿う供述をするとともに、甲第三号証の一、二(カシオ(秘)と題するノート)の鵜飼作成名義部分には、原被告間の楽器取引について各月別の器種・数量・通常の仕切値の記載のほかに、原告への販売価格とみられる記載とともに右販売価格と仕切値の差額とみられる記載及び右差額の一部について鵜飼において返品処理等をする旨の記載等があり、甲第九号証(鵜飼作成名義の昭和五九年五月一七日付メモ)には、「昭和五九年度四月度分 楽器差額分一三七六、五九〇円 六月度 MT七〇にて〇売上で補ないます」との記載があり、証人鵜飼修司もこれらについて自ら記載したものであることを認めていると同時に、後記架空返品伝票(甲第八号証の一ないし三、第一三号証の一、二)についても自分が被告の作成名義を冒用して作成したものであるとしている。

しかしながら、前記当事者間に争いのない事実に<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。

1. 原告は、日用品雑貨、家庭電化製品、宝石類の卸小売等を業とし、常時五〇軒位の得意先があり東京から九州まで相当広範囲に店舗展開しており、被告とは昭和五二、三年頃から取引を開始し、昭和五七年頃までは時計や電卓等を主体として取引を続けていた。川崎太久美(以下「川崎」という。)は、昭和五二年七月原告に入社し、本件楽器取引のなされた当時原告の本店の店長として勤務していた。

2. 鵜飼は、昭和五七年五月頃から被告の広島営業所の楽器担当の営業社員として川崎とも受注交渉等をしていた。本来原被告間の楽器の取引では、被告の販売する楽器の最低販売価格(仕切値)は、カタログ価格の六〇パーセントの金額と定められ、川崎も原告の代表者高木顕夫もそのことを認識していた。

3. 鵜飼は、昭和五八年二月頃、取引先のアトラスピアノから大量の返品を受け、その対策に苦慮し川崎に対し上司の広島営業所長馬場智男(以下「馬場」という。)らに無断で、右返品分の商品について前記最低販売価格(仕切値)よりも低額のカタログ価格の五〇パーセントの金額で買い取ってほしい、通常の最低販売価格(仕切値)との差額は自分が二、三か月のうちに架空返品等の手段で清算する旨申し出て、川崎もこれを了承した。その結果、右アトラスピアノから返品分の商品について、その後被告の本社からは、通常どおりの最低販売価格(仕切値)で請求書が原告宛に送付され、原告は請求どおりの売買代金を支払った。

4. ところが、昭和五八年四月以降、次第に原告からの受注が増加するとともに、鵜飼が毎月一〇日頃原告の本店へ集金のため赴くと、川崎は、鵜飼に対し、既に納品済の一部の商品について前記アトラスピアノからの返品分と同様に販売価格をカタログ価格の五〇パーセントの金額とせよ、差額は架空返品ないし〇円売等で処理せよ、さもなければ当該月の売買代金を支払わないなどと最低販売価格(仕切値)の減額を要求するようになった。これに対し、鵜飼は、集金に応じてほしい一心と返品により自己のセールスマンとしての売上成績が下がることなどを危惧して、明確に拒否の態度を示さず、このことについて馬場ら上司に相談もしなかった。以後昭和五九年一〇月二〇日頃事態が発覚するまで毎月川崎から鵜飼に対し、減額の率はほぼ四〇パーセントから五〇パーセントの範囲内で同様の最低販売価格(仕切値)減額の要求が続き、鵜飼も、ごく一部を除いて実際に架空返品ないし〇円売の処理をせず、川崎に言われるままに前記のようなノート(甲第三号証の一、二)、メモ(甲第九号証)に仕切値・単価の確認やリベートの未払分の補填を約する旨の記載をしたり、被告の作成名義を冒用して架空の返品伝票(甲第八号証の一ないし三、第一三号証の一、二)を作成したりしてこれらを川崎に交付するのみで原告に対する現実の支払をせず、優柔不断な態度をとり続けた。

5. また、右鵜飼作成のノート(甲第三号証一、二)、メモ(甲第九号証)、架空返品伝票(甲第八号証の一ないし三、第一三号証の一、二)等は全て、原告が本件リベート契約が成立したとする時点から一年以上を経過した昭和五九年二月以降の時点で作成されており、それらの内容についてみても、体系的に整理して記載されてはおらず、記載数値についても、全部の楽器取引についてではなく、一部の器種・数量を特定して単価を確認し、或いはカタログ価格の四〇パーセントとは異なる金額で単価確認をするなどしているし、本件発覚後原告から被告に送付された本件リベート契約に基づくリベートの支払を求める請求書(甲第四号証の一、二)記載の金額とも必ずしも対応しない。

6. 一方で、このように原告の主張によれば長期間にわたってしかも多額の未払リベートが累積していたにもかかわらず、原告は、前記の本来の最低販売価格(仕切値)に従ってコンピュータ処理により毎月被告本社で作成され原告宛に送付される請求書(甲第七号証の一ないし二五)では、度々一旦返品扱いされた商品についてその直後に売上が計上されるなどしているのに、昭和五九年一〇月二〇日頃に問題が表面化するまで(原告の主張によれば、この時点で本訴で主張するように三九〇〇万円近くの未払リベートがあったというのである。)、滞り無くこれを支払い、原告から被告に最低販売価格(仕切値)に関して質問や異議が申し出られたことはなく、馬場も再々原告本店の店舗を訪れ川崎とも面談していたのであるが、川崎や原告代表者は、一度たりとも馬場に対し未払リベートについて質問したり難詰し或いはその支払を請求したことはなかった。

7. 本件発覚後原告が被告宛に送付した書簡(甲第六号証の一)の中では、「但し五九年二月KX-一〇一は五〇%、五九年三月PT-八〇は五〇%、五九年九月PT-一は四七%で(仕入単価)を取決める」との記載があるなど、原告側で作成した文書の中にも、一律に最低販売価格(仕切値)をカタログ価格の四〇パーセントと取り決めたとする原告の主張とは必ずしも首尾一貫しない記載が散見される。

8. 時計や電卓の取引についてもリベートの支払が問題となったが、結局は被告の広島営業所の営業社員が個人的に清算して決着している。

以上のとおり認められ、証人川崎太久美の証言及び原告代表者本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲証拠と対比して俄に措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、本件のそもそもの発端が鵜飼のアトラスピアノからの返品商品に関する不正な販売方法にあり、その後鵜飼が原告側の要求に対し優柔不断な態度をとり続け、上司に無断で前記のノート、メモ、架空返品伝票等を作成した行為がその職務権限を濫用するものであること、及び馬場ら鵜飼の上司も長期間にわたりこれを看過したことは否めないけれども、さりとて原告主張の本件リベート契約は、本来原告の最大関心事ともみられる最低販売価格(仕切値)に関するものであるから、正常な取引であれば、原告側でも、営業所の一営業社員との単なる口約束に止まらず、書面化等その明確化が考えられるのが自然であり、その内容自体も架空返品扱い、〇円による仕入れ等正規の取引では普通考えられない約定を前提とするものであるというべきであるし、原告は、本件楽器取引の期間中馬場ら鵜飼の上司にも本件リベート契約の存在自体を秘匿する態度に終始し、しかも、その主張に係る未払リベート金額が累積し相当高額になっても長期間にわたり鵜飼から断片的かつ必ずしも係数的にも整合性のないメモないしそれに準じる前記各書面を徴することに甘んじ、その一方で被告の請求どおりの売買代金を支払っているのであって、これらのことに加え、原告側で作成したリベート金額に関する文書も必ずしも数字の上で首尾一貫したものとはなっていないこと、楽器以外の取引についても営業社員が個人的に原告主張のリベートを清算していることなどの事情を総合考慮すると、鵜飼が原告主張のように積極的に原告を欺罔したものとまでは俄に考え難いところである。

ところで、右の点を暫く措くとしても、被用者のなした取引行為が、その行為の外形からみて、使用者の事業の範囲内に属するものと認められる場合であっても、その行為が被用者の職務権限内において行われたものでなく、しかも、その行為の相手方が右事情を知りながら、または少なくとも重大な過失により右事情を知らないで、当該取引をしたものと認められるときは、その行為にもとづく損害は、民法七一五条にいわゆる「被用者カ其事業ノ執行ニ付キ第三者ニ加ヘタル損害」ということはできない。

しかして、一般に会社等組織機構のもとにあっては、各担当部門につきその業務活動の範囲(職務権限)が規定されていることは公知の事実であり、右組織機構の構成員が職制上定められた職務権限を越えて取引することはありがちなことであるから、取引の相手方としてもその職制上の地位と当該取引との関連性に注意を払う必要があることはいうまでもない。

これを本件についてみるに、原告は、相当規模で日用品雑貨、家庭電化製品、宝石類の卸小売等を業とし、広域に店舗展開もしているのであって、卸小売業界の実態及びその取引の態様については少なくともこれを十分知りうる立場にあったもので、被告の広島営業所の一営業社員にすぎない鵜飼に通常の仕切値を大幅に下回る価格での販売契約締結の代理権ありと信じたとしても、また原告主張のように低廉な価格での楽器販売が業界の実際においては往々行われうることであるとしても、一定価格をもって集団的、定型的に処理されていくのを常態とする楽器の販売にあって、大幅に下回る価格をもって、原告より楽器を買受けてもらいたい旨の申込を受けたものとすれば、瞬時のうちに決断さるべきことを求められる商取引にあっても、原告としては、鵜飼を代理人とする本人たる被告においてもかような超廉価取引をすることがあるか否かについて、すなわち、かような価格で楽器を売却しうる代理権が鵜飼に与えられているか否かについては、当然疑念をさしはさみこれを明確になすべきであったと考えられる。

しかるところ、前記認定事実を総合して勘案すると、原告は、鵜飼の前記商品販売当時、被告の通常の仕切値であるカタログ価格の六〇パーセントを大幅に下回るカタログ価格の四〇パーセントで販売する行為が、鵜飼の代理権外の行為であることを薄々感づき、或いは少なくともこれに疑問を抱いていたのではないだろうかと推測されるので、このような状況においては、当然、原告は、被告(少なくとも被告の広島営業所長馬場智男)に対し、鵜飼の代理権の有無を質すべきであり(それは電話を使用すればまさに一挙手一投足の労にすぎない。)、若し原告が右措置を講じていたならば、たちまち原告は鵜飼が右代理権を有しないことを確認できた筈であると考えられるところ、証人川崎太久美の証言及び原告代表者本人尋問の結果によれば、原告は何ら右措置を講じていないことが認められるから、仮に、鵜飼の前記商品販売行為がその外形からみて被告の事業の範囲内に属すると認められるとしても、前記認定事実に基づけば、鵜飼の前記商品販売行為はその職務権限を濫用するものであり、少なくとも、原告は、これを知らなかったことにつき重大な過失があったものといわなければならない。

そうすると、いずれにしても被告は原告に対し民法七一五条に基づく責任を負わないものと解される。

したがって、原告の被告に対する予備的リベート金相当額の損害賠償請求もその余の点について判断を加えるまでもなく失当というべきである。

三、未入荷商品代金の支払請求について

原告は、昭和五八年一月二八日から昭和五九年一〇月二〇日までの間の原告と被告との間の楽器取引のうち、別紙「未入荷商品の器種、数量、単価、金額一覧表」(別表Ⅲ)記載のとおり、合計金九九一万三九三〇円相当の商品が、未だ被告から原告に納入されていない旨主張し、証人川崎太久美及び原告代表者は、原告の売却先に対する売上伝票等の関係帳票書類と照合して未入荷商品のリスト(甲第六号証の二)を作成した旨右主張に沿う供述をするけれども、右リスト自体「未入荷の疑いのある商品」なる表題が付されているのみならず、「但し五九年一〇月分の未入荷については、はっきりしておりますが、馬場所長が善処するからと言われましたので全額支払いました。」との記載も見られるなど、それ自体なお多分に不確定な要素を含んだ上で作成された文書であるとの感を否めず、また、右にいう関係帳票書類等の全般的な裏付資料は証拠上提出されておらず、しかも右リストに計上された商品の一部について原告から被告宛の物品受領書(成立に争いのない乙一四号証ないし第一七号証等)が作成交付されているのであって、以上の事実に照らすと、証人川崎太久美及び原告代表者の右各供述及び前掲甲第六号証の二の記載は本件認定の証拠資料足りえない。

他に本件全証拠によるも、原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はなく、前掲甲第七号証の一ないし二五(右楽器取引期間中の被告から原告宛の請求書)によれば、原告が未入荷であるとする右各商品は、いずれも右各請求書に掲げられていることが認められるとともに、被告がこれに格別の異議を述べず、右各請求書どおりの代金額全額を支払ったことは前叙のとおりであり、右の事実によれば、むしろ原告主張の各商品は既に被告から原告に納入されたものと認めるのが自然である。

また、仮に未入荷商品があったとしても、原告と被告が本件各売買契約締結時いずれも商人であったことは前記認定説示から明らかであるところ、原告代表者本人尋問の結果によれば、川崎作成の前記未入荷商品リストは昭和六〇年四月一〇日頃他の関係資料と共に原告から被告宛送付されたというのであるから、原告が被告から目的物を受領した各時期から相当の期間が経過したものといわざるを得ない。

原告は、未入荷商品について、毎月二一日付で被告から代金支払の請求があり次第、被告に対し、至急納入するか代金を清算するよう通知した旨主張するが、本件全証拠によるもこれを認めるに足りる証拠はない。

してみれば、仮に原告主張の未入荷商品があったとしても、原告は、商法五二六条一項前段により、もはやそれを理由に前記各売買契約を解除することは許されないというべきである。

したがって、いずれにしても原告の被告に対する未入荷商品代金の支払請求もその余の点について判断を加えるまでもなく失当である。

四、以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないから失当として棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小澤一郎)

<以下省略>

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